権力を持つということ

権力を持つということ

権力を持つというのはどういうことだろうか?

身近な存在だと、君たちの先生ではないだろうか?

先生は君たちに、宿題をするように命令したり、静かに授業を受けるように命令する。

もし君たちがそれに従わない場合は、内申点が悪くなったり、居残りさせられたりする。

そしてそれをする事に対して誰からも責められることはない。

ところが、君たちが先生に対して宿題を出したり、居残りさせたり、先生の評価(ここでいう評価とは先生の給料を左右する事務的な評価)を悪くすることはできない。

この違いは一体なんなのだろうか?

簡単にいうと先生が皆に対して権力を持つのは、先生が教師としての職業を持っているからである。

そして、教師という職業は生徒に対して職業上の命令をして良いという取り決めがあるのだ。

権力というのはつまりそういうものなのだ。

つまり、権力というのは人間が作ったルールがあって成り立つのです。

例えば、人権も生存権も人が作ったルール、神がつくたわけではないので皆がルールを変更すれば人権も生存権もなくなる。

人権について、昔の人がとても素敵な言葉を言っているけど、結局は人間のルールなのだ。

ここで今日話したいのは、皆がもし権力を持つ人間になったら君たちは皆から尊敬されるような行動や振る舞い。もっというと皆が幸せになるように動かないといけない。

そうじゃないと権力を失ってしまうからだ。

権力というのは所詮人間が決めたルール、つまり権力を止めるのも始めるのも人間次第なのだ。

もちろん、国によってはそれを力でねじ伏せようとするけど、もし力でねじ伏せる側が反対する側に回ったら、権力は一気に失ってしまう。

今日本には司法、国会議員、財務省、国税庁などの機関がある。

彼らはものすごい権力を持って、君たちを支配しようとしている。

特に簡単にはクビにならない、司法や行政(財務省、国税庁)なんかは自分たちの権力が簡単には失われないので、国民に酷い仕打ちをしてくる。

でも、もしそれに対して反対の声が大きくなれば、これらの機関の言うことは誰も聞かなくなって、彼らはただの人以下になる。

だからこそ僕らは人の幸せになるような行動をしなくてはならない。

弱いものから権力を使っていじめるならば、それら権力者の命令は無視すべきだ。

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